あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

観察する仔フクロウ

もう一カ月くらい前の話だけれど。

 

近所のちょっとした雑木林の散歩道脇にフクロウの巣穴があった。

知人にその場所を教えてもらって以来、そこに行くたびに、木のうろから身を乗り出しているヒナと目が合う。

 

Great Horned Owl (和名: アメリワシミミズク) という種に生まれたその子は、私が初めて会ったときには生後3週間くらいだったらしい。すでに親とほぼ同じ大きさに育っていたけれど、その羽毛は白くてふわふわの毛布をまとっているようで、未だ守られているコドモの姿をしていた。

それでも、ほとんど天敵のいないフクロウの雛は、好奇心のままに世界を眺める。これから生きていくことになるこの世の法則を、その子なりに組み立てている最中だったのかもしれない。

その手段が観察なのだ。

 

親の留守中には、景色がよく見渡せる特等席にまで出てきて、不思議そうに、面白そうに外を見つめる。夜に特化した2つの大きな瞳は、双眼鏡を目にあてる私をしげしげと眺めていた。

私もその子を観察していたし、その子も私を観察していた。

邪魔だっただろうか。

いや、それほどでもなかったんだと思う。親鳥がネズミを咥えて戻ってきたときには、もうこちらのことは気にしていないようだった。

 

「観察」についてこの数ヶ月よく考えることがある。

観察をして記録をとる。仮説を立てて検証する。なにかの規則性を探そうとする。絶対に変わらないルールを探し求める。

 

覚えていないほど小さい頃、ものは下に落ちるのだと覚えた。

小学生の頃、独特の土っぽい空気の匂いは雨の前兆だと知った。

つい数年前、友人がある話題で明らかに機嫌が悪くなるのを察した。

 

知らないもの、予測できないものを減らして、この世を生き抜く下ごしらえをしていく。新しさに出会うのは刺激的で楽しいけれど、そんなことが毎秒毎秒続いたら心が疲弊して、楽しいどころではないだろう。

 

だから、観察する。

人間の仲間内で繰り広げられる想像力は広大で、1人の観察者が見つけた法則は、次の瞬間1000人に共有される。

私が頑張らなくても、他の誰かがやってくれている。そんな世界にいる中で、あえて(常識的にあたり前と思えることでも)じっと眺めてみるのだ。

 

2週間前、巣穴からフクロウがいなくなった。

少しはみ出た羽毛だけを残して、空っぽの木のうろはただの朽ちかけた空洞に戻ってしまった。

きっと雑木林のどこかで狩りをしているのだろう、姿は見つからないけれど彼らの声がたまに聞こえる。

 

-Great Horned Owl-

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