あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

拾いもの標本、気の向くままに

自分が気に入っているものを綺麗に並べるのは楽しい。

あまり深く考えず、勘に頼って配置していていくと、意外に見栄えのするものが出来上がったりする。

芸術のセンスと知識がないせいで、そう見えるだけかもしれないけれど。

 

自分に先天的なセンスがないのは、だいぶ前に気がついた。

中学校で、部活で練習用のユニフォームを自由に選んでいいと言われたときの私はひどかった。青色のキャップに蛍光オレンジのTシャツ、緑のリストバンドを気に入って身につけていたのだから、その姿はさぞかし滑稽だったに違いない。

結局の話をしてしまえば、自己満足に卑下を加えたところで、その気持ちはどこにもいかず宙ぶらりんのままだ。誰かが拾ってくれることはよほど稀、自己満足は手をつけないでおくに限る。

 

それでも、綺麗だと思うものは、誰かに共有したくなる。私自身が作り出したのだとしたら、なおさら。

 

採集日は、2週間前。数日前の記事で書いたナメクジに会ったのとちょうど同じ日だ。

海岸には、いろんなものが地面に転がっていた。ムール貝の殻が堆積して青い砂利のようになっていたし、海藻の浮き袋みたいなものもそこかしこで見つかった。

その中で気に入ったものを、2時間のハイキング中にポツポツと拾っていく。そのうち欲ばりになってきて、この色、あの形、と追い求めていくうちに、ジャケットのポッケはずっしりと重くなっていた。

 

こんな調子でワクワクしながら拾うのは小学生の頃以来、久々だ。そう思った。そこから、唐突に連想のループに陥る。

あの頃、好奇心のままに拾い集めたそのあとは、どうしてたんだっけ。こうやって道端に落ちているものを拾って家に帰る。それからどこにやったか全然覚えていない。そのとき宝物だと思っていたものはただのゴミになり、もう一度目にすることはなかった。そうだ、今日こそはちゃんと飾ってみよう。

 

そうして、帰ってから1週間後に、標本を作ってみた。

きっとこの標本も、いつか忘れられる時がくるのだろうけれど、確かに、記憶を呼び出す引き金としてしばらくは活躍してくれそうである。

 

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