あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

双眼鏡越しの野うさぎ

2年前は全く見かけなかったのに、この春になってから野うさぎの多さに圧倒されている。

少し野に近い場所に踏み込めば、2、3羽がすぐ視界に入ってくる。聞くところによると、近年とくに増殖しているらしい。

 

これまであまり関わったことがない分、ウサギへの特別な思い入れはなかったりするけど、子供の頃ウサギを模したキャラクターたちに色々お世話になった縁はある。本物のウサギはというと、ふれあった経験が少なすぎて、猫や犬と違って心の交わし方がよくわかっていない。それでも鼻をヒクヒクさせているのを見るとかわいいと思う。

 

なんだってそうだけど、いくら可愛くても同じ生き物が大量にいると脅威を感じる。ガーデニングをやっている人にとっては厄介者になることも多いだろう。

大抵は捕食者の少なさと活動範囲の拡大が原因だろう。フクロウも子ウサギを狩ることがあると教えてもらったが、あまり好んで獲物にすることはないという。

それ以外の猛禽類も捕食することがあるかもしれない。ないかもしれない。

今住んでいるところの生態には詳しくないから、デタラメなことは言えない。

狼は人間側の脅威にもなるので、どこかへ追いやられてしまった。

 

このまま増え続けたらどうなるのだろう。

もちろん、増えすぎたウサギを今度は植物側が養いきれなくなり、食べ尽くされ、ウサギは時間をかけてまた減っていくはずだ。そう習った。

もっとも、そうなる前に我慢できなくなった人間の介入が入って数が調整されるのだろうけれど。

 

シカの増殖も注目されている。森の新芽を冬の間に食べ尽くし、家の庭に侵入して畑を荒らす。私の地元には、数を調整するために市に雇われた猟師がいた。ある季節になると、山で銃声が響き渡る。

これについては、ハスケル教授が『ミクロの森』で(少なくとも私にとっては)目からウロコの、面白いことを言っていた。以下引用。

私たちがもっている、「正常な」森とはどういうものかということに関する文化的、科学的な記憶は、歴史上のある特異な一点で生まれた。(略)つまり私たちの記憶にあるのは、大型草食動物なしでかろうじて存続している、正常ならざる森の姿なのである。(略)シカによる「草木の食べすぎ」は、森をもっとまばらで広々とした、本来の状態に戻しているのかもしれないのだ。

『ミクロの森』-D. G. ハスケル著、三木直子訳

シカが増えすぎたように見える今の状況こそが、昔確かに存在した、私たちの知らない森の姿かもしれないというのである。

生態系のバランスが変化するとき、生態ピラミッドのどこかの層が抑圧されるのは必然なのかもしれない。

環境が変化しても、なるべく幸せでいたい私たちは、昔の思い出に浸りながら、「駆除」を敢行する。 それはきっと人の生き物としての権利でもあるけれど、人の持つ環境への作用力が大きすぎるのが怖いところだ。

 

わからない。

今の世界こそ、自然な状態なのかもしれない。

たまに、人間は人類としてゆっくり自殺しようとしてるんじゃないかと思うことがある。増えすぎ、身に負えない大きすぎる力を手に入れて、バランスを崩した種は、自然の力によって自らの首を締めさせられるのだ。

ただの妄想。どこかの漫画の影響。そう思いたい。

 

桃源郷は、ひょっとしたらひょっとして、未来にあるかもしれないのだし。

 

それよりも、野うさぎを撮りたくて、でも望遠カメラなんてもっていないので、双眼鏡をスマホのカメラレンズに当てて撮った写真が意外と良かった。

-Hare-

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