あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

森のなか、鹿の骨から飛びだす連想話

鹿の骨を見つけたと言って、知人がその場所へ連れて行ってくれた。

今回はその話。

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今になって、角の生え際がないので、これはきっと雌鹿だったのだと気づいた。

寿命だったのか、病気だったのか、誰かに狩られたのか。もしかしたら冬を越せなかったのかもしれない。

専門家ではないから骨の状態で推測はできないし、霊媒師でもないからあの世と交信もできない。ましてや、時間を操る能力もないから当時の様子を見に行くこともできない。

 

この鹿がどんな人生を送っていたのか、きっと誰も知らないけれど、別の存在に想いを馳せることはできる。

森の分解者、微生物だ。

私が白い骨を見ている原因を作った張本人たち。森のなかの骨は、彼らの存在を示す、まぎれもない証拠である。

 

微生物は、この鹿が生きている間に抱え込んでいた地球上の物質を律儀に分解し、別の生物に受けわたす。元は鹿に属していたものは今、真横に生える新芽の一部に入っているのかもしれないのだ。

微生物の食事中を邪魔して横取りすると、たいていの動物は痛い目にあう。そして私たちは、腐った食べものは手を出しちゃいけないんだと何度となく思い知らされてきた。

地球上の彼らの総数は、天文学的数字になるという。10の28乗とか言われると、もはや想像すらできない。

でも少なくともわかるのは、誰かが孤独の時間を楽しみたいと思っても、数億、数兆の微生物たちはいつでもその人を取り巻いて、決して1人にはしてくれないだろう、ということだ。

 

 

それと、鹿の頭蓋骨をひっくり返し上から下から眺めているときに、面白いものを見つけた。

頭蓋骨の継ぎ目(縫合線というらしい)が、迷路のように複雑に入り組んでいたのだ。その形状が、幾何学的というか、芸術的というか、とにかく綺麗だった。

 

その時の私は何を思っていたのか、その部分の写真を一枚も取らなかった。ここでその様子を見せられないのがすごく悔しい。

上の写真でも少しだけその継ぎ目が写っているが、頭頂部の複雑さとは比べものにならない。思い出しながら描いてみたのが、下の画像。

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少し違う気もするけれど、こんな感じだった。

どうしてこんな一生外れないパズルのような形をしているのか、外すつもりがないならなぜそもそも継ぎ目があるのか、思いがけないところで世界の不思議に出会った気分だった。

 

調べると、加齢とともに複雑化していくようである。新生児の頭蓋骨が安定していないのはどこかで聞いたことがあった。大人になっても継ぎ目を無くさないのは、ある程度の可動性を残すためらしい。

だからといって、この継ぎ目は少し芸術性が高すぎやしないか。

「我々動物は、生まれながらにしてアーティストなんだ」とか、その場で言いだしそうなくらい、よくできた模様だった。

生物のフラクタル構造、これからしばらくは私の中のテーマになりそうだ。

 

 

森で生まれ、森で死に、森に還っていく鹿。

病院で生まれ、病院で死に、墓に入れられる私。

先のことはわからないし、まだ死というものを意識すらしたことないけれど、だいたいは想像できる。想像できてしまう。

人がどこかの森で白骨化していたら、ちょっとした騒ぎになるはずだ。

ひとりひとりの生をデータとして管理している世の中は、きっと社会的に安心できる場所を実現する過程で必要なのだろう。

 

でもたまに、それでも、ちょっとぐらいは放っておいてほしいと思うこともある。

 

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(別角度からの写真。例の継ぎ目は、こちらの方が確認しやすいか。)