あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

木の葉を隠すなら森の中。見てもらうのなら、入り口に。

木の葉を隠すなら森の中に。

個性を消すなら雑踏の中に。

葉に宿った個性を見てもらうのなら、森の入り口に置くといいだろう。

 

ハイキングコースと駐車場の境目あたりに一枚の葉っぱを見つけた。

茶色の地面にポツンと、周りと妙に浮いた色合いで視界の端っこにちらついていたのが、笑顔にくりぬかれた葉っぱだった。

二つの目と、ちょっと不敵な感じにつり上がって笑う口。

ちょうど山歩きを終えて道から出てきたところだ。このまま帰る名残惜しさを感じていた私は、珍しいものを見つけたと、迷わず立ち止まってしゃがみ込む。最後のお土産に写真を一枚撮ろうと思ったのだ。

 

葉を主食にするイモムシの仕業だと考えたら、偶然のシロモノが偶然そこに落ちて偶然わたしの目に入ったことになる。自然の神秘にふれ、そこに私が立ち会ったのは運命だと思う。

この発想は楽しい。

けれど、すぐに「そんなわけないありえない」と、ファンタジーに入りかけた心がもう少し現実に生きる別の心に引き戻されたので、もう少し考えてみる。

 

ほぼ完璧と言っていいほど左右対称の顔だ。

ハロウィンにいそうなこの笑い顔を卵ぐらいの大きさの葉にくり抜くのは、そんなに簡単じゃない気がする。特に、二つの小さな目の穴は、指でペリペリとしたところで途中で破けてしまうのが容易に想像できる。それなのに、不自然な折り目などは、全く見えない。

私もたまに落ち葉を破いて遊んだことがあったけど、繊維の方向が邪魔して、なかなか思い通りに切り取れないものだ。

それに、自然に落ちる葉っぱとしては少し若すぎる気がする。青々としていて、ついさっきまで枝についていてもおかしくないような緑色をしていた。

 

これを作ったのは大人かもしれない。

ハイキングの途中に、ちょっとした遊び心で木の葉を一枚拝借し、隣の人と何か世間話をしながら、ペリペリと穴を開けてみたのだろう。それがちょうど笑った口に見えたので、少しつり気味の目もつけ加えた。

意外にうまくできたので捨てるのはもったいなくて、ハイキング中は持ち歩いていたけれど、いざ帰るとなればそれはもうゴミ同然になることに気づき、駐車場の手前でひらりと捨てた。

 

ただ一つわからないのは、持ち手になるはずの葉と枝の継ぎ目(葉柄)が切り取られている理由。柄の部分をもって、くるくると回す方が楽しそうなのに。

 

この葉を子供がもっていたなら、きっと車にまで持ち込むだろう。そうして帰路につくうちに笑顔の葉などすっかり忘れ、どこか座席のシートの間に挟まったまま忘れられるのだ。

そういう経験を繰り返して成長した誰かが、大人的な淡々とした感情とともにそこに葉を放り投げた。それでも、心のどこかで他の人の目に入るかもしれないことを想定しながら、自分の作品を残していく。

 

そこは、森の奥でも茂みの中でもなく、つかの間の休息と忙しい現実の境、ちょうど私みたいな人が名残惜しさを感じるその場所で、しばらくの間、通り過ぎる人々を笑顔で見送るのだ。

 

ここまですべて妄想だけど、せめてここまで付き合ってくれた葉に「お疲れさま」と言いたい。

お粗末な探偵ごっこはこの辺が引き際かもしれない。

 

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