あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

父の料理で明日をつなぐ

この前なんとなく時間ができて立ち寄った本屋で、『Hungry Student Book』という料理本を見かけた。

文字通り、学生がいかに短時間かつ低コストかつボリュームたっぷりの料理を日々作っていくか、というレシピ本で、何を作るか決めて臨むレシピというよりも、よくある食材でどう美味しく楽しくか、に焦点を当てていた。

 

「冷蔵庫と相談する」

小さい頃、今日の夕飯は何?と尋ねると、父は決まってこう返した。

私の家では、普段は父が料理担当だ。

行き当たりばったりでも知識と感覚にしたがって要領よくご飯を作る父と、丁寧に時間をかけてレシピ通りのお菓子を作るのが得意な母。どちらの手伝いをするのも楽しかった。

 

手伝いといっても、父が料理中の時の私は、ただ周りをウロチョロしていただけかもしれない。

レシピを持たず、作りながら他の品を考えている父の理屈と文脈を察するのは難しかった。父の中にはいつも自分なりの効率のいいやり方というものがあって、私が一緒に料理をすると申し出ると、逆に時間を食うのだった。

というのも、体には染み付いているメソッドを口に出して説明するとなると、私の想像以上に父は同時進行で色んなことを考えていて、口が手に追いつかないのだ。

 

それでも、一つ一つ根気強く教えてくれた。

包丁の持ち方や器具を洗うタイミング、ドレッシングの組み合わせ方なんかを、そこに公式があるかのように説明してくれる。変数xとyにこの値が入れば、最適解はこうなるだろう、そんな調子で教えてくれるものだから、毎日違う料理を作っているにもかかわらず、言われることはいつも同じだった。同じ公式を、様々な例題で練習している気分だ。

 

今、自炊しながら、時々父との時間を思い出す。

今の生活で言われた通りのことをやっているかというと、そうでもなかった。日々の生活習慣といつも頭のどこか片隅にくすぶる面倒くささを言い訳に、食事を適当にこなすことも多い。

もう少し、ちゃんと公式を習っておくべきだったと思うこともよくある。いざ夕飯を作るとなると、あの時どうしていたかなかなか思い出せないものだ。

 

家族と食事をする時は栄養バランスに加えて美味しさも考慮するのに、父は自分1人だけの食事となると、必要な栄養素だけを考えて途端にそっけない料理になる。

父は美味しく作ることに関しては誰よりも上手なのに、美味しく味わうことに関しては私の方が上手かった。食卓に並んだ料理に自分の分だけ香辛料をふりかけるのが癖のようで、母がその様子を見ていつも呆れていた。素材の美味しさをよく知っている上で、辛味を足さずにはいられない、その習慣も私にとってはなんだか面白かった。

 

日常が変わって、過ぎ去っていった時間にようやく気づく。

頻繁に両親に会うことはできない今の状況で、父と一緒に台所に立った日々を思い出す。

父の料理法はきっと『Hungry Student Book』に源泉がある気がしてならない。今度、その話をしてみるつもりだ。

 

f:id:sen24:20180618180207j:plain

父と馬と夕焼け