あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

音楽と鳥肌と多様性の話

音楽を聴いて鳥肌を立つという現象は誰しもが経験できるものでもないらしい、と小耳にはさんだ。

音楽を聴いて鳥肌が立つのは特殊な脳の構造を持つ人だけが経験できるという研究結果 - FNMNL (フェノメナル)

 

私自身、音楽で鳥肌が立った経験は一度もない。

肌が文字通りプツプツとなるのは、寒いときかゾッとする状況に出くわしたときだけだ。

 

だから、この話を知って安心した。

誰かが「この曲は鳥肌モノだよ」と言っていた音楽を聴いて、実際にブワリと肌が粟立ったことなどなかったのだ。

好きな曲や、聴くたびに感動するような歌に心を突き動かされる感覚は私なりにあった。けれど、体の反応はというと、心拍数が少し変化するぐらいで、他の人がいうように肌の表面は興奮しない。もしかして、私には心から感動する能力がないのではないか、と少し不安だったと同時に羨ましかったことを思い出したのだ。

いや、これはきっと比喩表現なのだろう、と思うことにしていた。

 

けれど、この現象が脳の構造レベルで違うのだとすれば、それはとても面白い話だ。

体が反応してしまうほどに素晴らしいもの。その一つとして「鳥肌が立つほど感動する」という個性がある、と解釈できる。

つまり、背の高さや太りやすさや酒の強さと同じ、感動の仕方というのは個人差のある特徴なのだ。

 

「個性の誕生は多様性のための宇宙的ジョーク」

こんなことを知人が言っていた。ちょっとした世界の遊び心から、星ができて山が形成されて生態系ができあがった。みんながみんな同じだと面白くないので、遺伝子の差異や環境の変化を加えて「多様性」を作った。そんな考え方。

ひとつの人生であるひとつの多様性を振り分けられるのだから、他の人が持つ多様性(あるいは個性)は想像力と共感で補うしかない。

その違いを楽しめればいいじゃない。誰かが言っていた。

 

今日、多様性の項目チェック欄に「感動した時の鳥肌」が新たに加わったのは面白い発見だった。

そもそも、感動の仕方を他人と比べたところで、自分の感動が覆されることなどないのだし、もしかしたら、人が鳥肌とともに感じているような高揚感とは違う感覚を味わっているのかもしれない。

 

人らしいといえば人らしいのだけれど、私には理解しえない特殊な脳を持つ人だけの感覚、と言われると何か損しているような気分になる。じっくりと考えれば、自身の世界に新たな色が加わるようなとても面白い研究結果なのに。

多様性が可能にしていることはなんなのだろう。それを理解できれば、生き方も変わるのだろうか。

 

対象が音楽でも景色でも物語でも、感動は脳にとって一大事なのかもしれない。

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田植え前、犬の散歩で。夕焼けの反射が綺麗だった。