あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

雨上がりに帰路につくものたち

足で踏みつけそうになってギョッとしたあと、慌てて道の端に避けた。

2匹のカタツムリだ。

その意味するところは、この歩道にいるカタツムリの数は計り知れない、ということだったりしそうで怖い。

その時は2匹しか見当たらなかったので、安心して観察できたのだけど。

 

ちょうど雨上がりで、日が差し込み急激に気温が上がったあとだった。

ようやく晴れた、と買い物袋をぶら下げながら、私は大いに喜んでいた。

けれど、カタツムリたちはそうでもなかったようだ。

 

濃く色を変えていたアスファルトは、雨粒の蒸発とともに薄く本来の色合いに戻っていき、その上を「たまったもんじゃない」と言わんばかりにカタツムリたちが滑っていく。

 

彼らは何を感知してどこに進んでいるのか。乾燥しなさそうな夜を好むと聞く。

水そのものに大きく左右される人生を送っているのだと考えたら、面白い。

 

 

たとえば。

 

普段日中は茂みの陰でじっとしているけれど、雨が降ったので少し強気になる。

雨粒が触覚に当たるのはあまり好きではないから、本降りのときはあまり動く気にはなれない。

そこから雨がしとしとになって、世の中が自分たちに味方してくれているような気分になる。

ちょうど、雨上がりに嬉しくなるような人間みたいに。

 

タツムリは湿気と薄暗さに、私は久々の日光と暖かさに、それぞれ誘われるようにして外に出る。

「ああ、やっと自分の時間がきた」

私もカタツムリも、同じことを思う。まったく違うものを見ながら。

 

日向で外気が温まって私がさらに上機嫌になる頃、カタツムリたちは慌て始める。

こんなところにいては干からびてしまう。

太陽の光を直接浴びた彼らは、再び暗闇と湿気に向かってさっきとは逆方向に進み始めるのだ。もう散歩は十分だ、と。

 

せっかく雨が上がったのだし少し遠回りして帰ろうか。

私がそう考えている間にも、彼らはいち早く茂みへ帰っていく。寄り道などしている余裕はない。

 

そんなカタツムリと私の時間が一瞬だけ重なった。

 

虹でも出そうな空の下、わざわざ立ち止まって彼らの焦りようを写真に収めるくらいには、私は雨上がりの午後を満喫していたらしい。

 

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 (ことごとくピントが合っていないのはいつものこと)