あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

マグカップで存在証明する日々

西の魔女が死んだ』の中で、主人公が大切にしているマグカップの話が出てくる。

その部分しか覚えていないくらい、当時の私にとっては「自分専用のお気に入りマグカップ」は憧れだった。

 

それ以来、私のマグカップ探しが始まった。

家で使っているものはあったけど、ただ見慣れているだけで、お気に入りとは言えない気がした。

もっと、私が自分の直感で選んで、好きな飲み物を自分のために入れたくなるような。そんなものが欲しかった。

 

本を読み終えた後、母に雑貨屋(またの名を100円ショップ)に連れて行ってもらった。

そこで、飲み口の大きな、木と鳥がパステルカラーで印刷された白いマグカップを買った。陳列されていた100円カップの中では、一番マシに思えたのだ。

この「一番マシ」という言葉が、当時の私の心境を端的に表している。

 

とりあえずその白いマグカップを「お気に入り」として扱うことにしたのだけれど、ただ私専用の湯のみが食器棚に追加されただけで、特別に思い入れはできなかった。

それでも、長年の愛用としてだんだんと愛着が湧いてくるかもしれない。

そんな可能性に賭けてそのあとも7年くらい使った。今は「見慣れた白いマグカップ」に昇格している。

 

それが去年までの話。

今、お気に入りのマグカップがある。

昨年の夏、地元のアーティストが集まる市場で、陶芸家の焼いたマグカップを一つ買った。

たっぷりとお湯が入るような口の広い、安定感のある形。暗めの水色がグラデーションで織り交ざり、側面には森と野生動物たちが描かれている。

その一つ一つ手作りしたような質感が、よく手のひらに馴染むのだ。

 

冬に、熱いほうじ茶を入れて、手を温めながらゆっくり飲むのもいい。

夏、ハーブティーを注いで、読書のおともにするのもまた良し。

 

なんにつけても、「愛着のあるお気に入り」というものは、自分自身のアイデンティティーを守ってくれるような気がする。

ここにいるんだという実感のような。

自分の中だけの世界が表面化したような、外側に向かって展開されているような、穏やかな自己主張の象徴のような。

そこから熱いお茶をすすれば、なんだか安心できるのだ。

 

さっき沸かしたばかりの白湯を注ぎ、夏なのに少し冷たい指先を温めながら、今日も私は朝を迎えた。

 

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