あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

舞い上がっているのは心か影か

この前の休日、可愛らしい街路樹の影を見つけた。

少なくとも、その時はそう思ったのだ。

 

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目に映る景色というのは、その日の気分によってずいぶんと変わるもので。

それはもう、文字通りに一変するのだから面白い。

 

空腹のまま歩けば、緑や赤や白なんかが鮮やかに見えるし、

コーヒーを飲みすぎると、光と影の濃淡が妙にくっきりと目に映る。

寝不足のときは、日差しが憎らしいほど肌に突き刺さるのを感じるし、

悲劇を描いた映画に感動したあとなんて、木々と空が一つの油絵みたいに融合しているような錯覚に陥るのだ。

 

 

その日は、街で大きな祭りがあった。

せっかくの休日を家の中で終わらせるのはもったいないと思い直し、いつもは着ないような明るめの服を選んで、ケータイと祭りのパンフレットだけ持って家を出る。

よく晴れていて、風が強く吹き付けていた。

遠くから、スピーカーで増幅された流行りの曲の振動が伝わってくる。

歩いていくうちに、楽しそうな騒音がはっきりと聞こえ始めた。家族連れがレモネードを片手に私とすれ違っていく。

祭りの予感に、当たり前のように、少しずつ気分が高揚していった。

 

それで、あと100メートルも歩けば祭りの会場が見えるというところで、この影を見つけたのだ。

まるで、桜の花びらか、打ち上げ花火のようで、なんて可愛らしいのだろう。

変温動物のごとく、あたりの雰囲気にすっかり染まっていた私は、ただの葉っぱの影に舞い上がった。そして、わざわざ立ち止まり、いい角度を探しながらカメラモードにしたケータイとともにその場をウロウロしたのである。

 

 

嬉しいとき、退屈なとき、景色はどう目に映るのか。

私の知らない多様な感性とともに、世界とどう関わっているのか。

答えは人によってきっとまちまちなんだろうなあ、と想像するのだけど、誰かにこんな抽象的な質問をする勇気は、私にはない。そのうち、いつか、聞くことにしよう。

 

こんな話をした後だけど、あとで見返しても、やっぱり綺麗な形をした影だと思った。

私の目にもちょっとは一貫性があるってことだ、良かった。

 

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