あの犬この猫そこの馬

自然を基調に、エソラゴトをのんびり考えていく

自由に駆られ、馬、草原に駆ける

毎夏、市内じゅうの馬が集められ、解き放たれる高原がある。

だいたい5月から10月の間、馬たちは半野生的な自由を手に入れるのだ。

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高原に連れてこられ、馬運車から降ろされ、手綱を外され、もう行っていいよと人間が一歩下がる。

すると、去年の高原の記憶が一気に蘇ったか、尻尾をあげて全力疾走していくのだ。

 

ひろいひろい草地という名の「自由」を自覚して、冬の間に溜め込まれていた感情が爆発し、全身の震えをエネルギーに変換しようと躍起になっているかのように走る。走る。走る。

 

数百メートル先まで一気に駆けていって、点のようにしか見えなくなったと思ったら、次の瞬間には大回りのUターンをして、これまたすごい迫力で戻ってくる。

後ろ蹴りの演出も加えながら。

そしてまた風の如く、まるで人間の存在など忘れてしまったかのように、目の前を走り過ぎて行く。

 

その瞬間を眺めるのが好きだ。たまらなく好きだ。

 

一頭の馬が喜びをあらわに走り始めると、数日前からすでに高原入りしていた馬たちにも興奮が伝染して、疾走する馬軍団が一瞬ののちに結成される。

圧巻の眺めだ。

 

これから彼らは、馬同士だけに伝わる言語を駆使して、社会を形成していくのだ。

数十頭の馬たちは、大きく分けて二つのグループに自然に別れ、たまに数頭だけの"はみ出しもの"が生まれる。ちょうど、学校のクラス内にできる人間関係のように。

強いものは、内側へ。弱いものは、外側へ。

 

待ち受ける長い夏を前に、彼らは彼らなりの言語を通して対話を進め、自分の生きる場所を探っていく。

 

その春に生まれたばかりの仔馬も、何頭かいる。

そこで、他の馬との交流の仕方を学んでいく。

仔馬は仔馬同士で遊ぶのだから、不思議だ。やはり同じ若さをお互いに感じ取るのだろうか。

 

いい場所だと思う。いい季節だと思う。

彼らの意識には、もう冬に世話を焼いてくれていた人間のことなどを考える入る隙間などない。

お互いの力関係を確かめ、足元の草をはみ、次の集団移動の行き先を気にしながら、昼寝にふけるのに大忙しなのだ。

自由も暇じゃない。

 

彼らは今日も山のうえ。

 

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(とりあえず詰めるだけ草を口に頬張る)